宿場町
2008年06月20日
中山道・上松宿

『まちの案内人の会』
今回の視察研修は
福島宿から上松宿へ中山道を辿りました。。
中山道鉄道・・・の話し
木曽谷に鉄道を通す話は、明治3年、イギリス技師の調査も行われ、これは東海道線よりも前の話し。。。。だったそうです。。。
東京〜高崎〜松本〜木曽福島〜加納まで。。。。
明治17年東京高崎間が開通したが、碓氷峠や木曽谷の難工事が判り、工事費も膨大なことから、東海道線に変更され、22年に全通した。。。
その為、中央
線は明治44年開通。。。。
旧国鉄のトンネルは今もその堅牢な石積みが残っていて、元橋までを歩く事も出来ます。。
このトンネル横の中山道は国道19号敷設の為に中断してしまい。。。。
何度も残念がる、説明をして下さる、観光案内のベテランMさんが今回の案内人です。。。
木曽の桟から、名古屋方面国道19号左上状を、今も少し寸断されながらも、歩く事が出来ました。
やよい茶屋はワラビ餅が名物で、十辺舎一九の旅日記にも登場しているようで。。。
そして、上松の入り口は十王橋(今は橋は無くなっています)に十王堂。。
人が死ぬ時、死者をどの地獄に遣るかを十人の王が裁いたと、云われた所。。。
今はお地蔵様があります。。。
この辺りから、上松宿の上町(かんまち)です。。
上松は江戸・明治・昭和と大火が遭い付いたそうですが、この辺りだけは焼け残り、少しは江戸時代の建物や明治から大正にかけ、織物工場の跡が何軒か残っています。
ここに織物工場や倉庫が多いのは、繭で貨車に積むと、膨大な量になり、生糸に紡ぐと、カサを減らす事が出来るとの理由だそうです。
本陣や脇本陣跡や疎水の流れも見ることが出来ました。。
何度も訪ねているものの、こんな情緒のある場所がある事は知りませんでした。。
そして寝覚めの床でお洒落な昼食。。。
ごごからは赤沢美林へ。。。
途中姫宮。。にお参りして、平家の落人伝説。。。
この場所は宮内庁の方も代参に見えるとの事。。。
お祝いに宮内庁から、5円を頂きました。。。
随〜〜分昔の話しですが、山仕事を休み、みんなで、お酒をタラフクヨバレマシタ。。。
でもそれでも呑み切れず、残りの酒は川に流した〜〜〜〜。。。そうです。。
散策してみると、マダマダいい所が沢山ある事が判りました。。
赤沢ではオオヤマレンゲの花が満開で。。。
又今御岳本庁の移動工事が行われています。
元橋近くの木曽川対岸。。。
8月7日には御神火祭りの神事が行われるそうです。。。
夕方R19からでもその様子が見えるとの事です。。。
2008年05月16日
木曽福島の小道に山野草が・・・
晴れ。。
昨日は『猫の手会』
柳又でバスを待っていると、軽トラが近付いて来て。。。
福島に出掛けるSさんに乗せて頂きました。
行人橋近くで下ろして頂、くるま屋さん近くの川沿いを歩いてR19へ向いました。
緑濃くなって来た山々と、小さなお庭に満開の藤の花や。。。
国道近くでは、桐の紫色の花がまるで、鈴の様な形に見とれてしまいました。
ひのきちゃんハウス近くの国道では、事故が多発するのでしょうか、色とりどりのライトの破片が光っていて、これを、万華鏡に入れれば綺麗だろうなぁ・・・など思いながら。。。
メンバーも9人集まり、お掃除は40分程で、済みました。。。
係りの方が、このお掃除の日を待ちわびています。。。と言って下さり。
次回は6月3日(火)、7月3日(木)の予定も決まりました。。。
男性は脚立に乗って、素適な額を架ける作業を続けて居られますが、女性は何か掘り出し物は無いか。。。。と探すのも楽しみです。。。
今回も素適な物が見つかりました。。。
お昼前、皆さんと別れて、テクテクとR19大学ラーメン近くを右折れ。。。細い坂道は大昔から、多分使われている道でしょうか。。。
遠くに城山が見え、細い道には大きな蕗や山野草が咲いています。。。
紫ケマンに白い二輪草はあちらこちらに群生が見られました。。。
2008年05月14日
木曽福島で・・・
松本から月に一度出張して来られますので、10時開始。。
バスで出掛け10時過ぎに到着したのですが、もう既に、沢山の方が椅子に腰掛けて待って居られ、私は34番目でした。。。
お隣同士、知らない方も話し掛けて来られました。
『急いでメガネを取りに帰って来たので、足が痛いです。』とお隣に座ったご婦人。
『早い人は8時半には来られていた様です。。。』と向こうの方で・・・
ドンドン増えて受付人数は50番も超えました。。
待ち時間ありとふんで、福島の観光案内の資料を持参していた事も。。。
『姉さんはいいねえ・・・熱心で・・・』
『眼がいいんだねぇ・・・』
何と無く待つしか仕方ない方からの声掛けでした。。
色んな相談事に早く済む人や、ご夫婦で一時間近く掛かっている人。。。
お昼近くになって、未だ17番目の方の相談です。。。
これでは何時に為るか判らず近くでお昼を済ませる事にし、席を立ちました。
歩いて5分程で
スパゲティーが食べたくなり松島亭へ。。。
「一人ですが。。。」
快く席に案内して下さり、注文後も案外に早くお料理が運ばれて来ました。。
野菜のサラダにパンとオリーブ油。。。
素適な盛り付けでしたが・・・、空腹とゆっくりはしていられない気持ちも急いで。。。
美味しく頂きました。。。
食べ初めてから、気付きました、デジカメで写しておこうと・・・
続いてキノコとトマトのスパゲティー。。。
茹で加減も丁度良く。。。
少ししてデザートはクリームブリュレ・・・に果物とアイスが盛り付けられています。。
紅茶は少し苦い程でしたが。。。
これで1000円は本当に満足で。。。。
途中肥田亭へ立ち寄り、25日『忘れな草を守る会』での食事の予約を済ませて。。。
社会保険事務所出張業務に携わる三人の方達は昼食も取られて居られない様で、私の番まで、三人程になっていました。。。
何とか用も済ませて。。。。
その対応も的確に丁寧に。。。。。
好感持って帰宅致しました。。。
途中、昔御岳山への道『行人橋』横の足湯では、丁度新緑の山川眺めながらの姿がとても和やかでした。。
2008年04月25日
2008年04月19日
福島関所。。。。
晴れ。。。
昨日は多忙な一日でした。。。
午前中は少し小雨の中、関所の観光案内をさせていただきました。。。
福島の街は今桜が満開で、城山の木々の間にも淡い色の山桜と谷底の町が絵になります。。。
珠の案内では、覚えた事、お話しようと思う事が、小雨をさけようと、早く進まれるお客様に伝えることの難しさを感じました。。。。
お客様から声を掛けて頂き。。。
丁度、関所から、木曽川と対岸の昔は立派なお屋敷が三十数棟ありました。
あの小学校の辺りが代官屋敷が建てられていた所です。。。。
説明する景色の中の木曽川の親水公園の肌色の階段が見えています。。。
『あれは。。。いけないね!!!』
そして、お住まいの町の景観保全の様子を色々とお話下さいました。。
反論も出来ず。。。
その方がお別れに、わざわざバスから下りて来て下さり。
有難うございましたと、飴を二個渡して下さり。。。
景観保全の様子をお聞きしましたが、何とかこの一時は快く過していただけたのでしょうか。。。
友人と合流しお昼は福島八沢から上の段へ入って直ぐの『たちばな』さんで、お昼を頂きました。
野菜中心の豪華メニュにコーヒーも付けて頂き、700円はお安いです。。
2008年04月15日
黒川郷の道祖信めぐり
今朝8時の気温8度、室内ストーブ焚かずに14度。
晴れ。。
昨日は『まちの案内人』定例会議と勉強会
今回は黒川郷の道祖神を先生に案内して頂きました。。。。
危ぶまれたお天気も、段々と快晴に向かいました。。
黒川郷は田圃や畑のあぜ道に小川の小さな流れにも昔の風情を残す所です。
小さな小道の道角に集落の守り神として、又道案内としてや、養蚕の神様として、沢山の道祖神が祀られています。。。
彫りの美しい又愛らしいお顔の相対の道祖神や猿田彦と受売命の像など、生命誕生の元である子孫繁栄や五穀豊穣、魔性防御を祈るようになった双体道祖神の他、小さな馬頭観音様はいつまでも眺めていたいほどに愛らしい。。。
午後4時過ぎ迄、十何箇所かを案内して頂きました。
何時も通る道ですが、川を渡り、奥まった場所は、まるで、天岩戸のようであったり、
白山神社へは初めてお参り致しました。
蠶玉大明神や大日如来、十一面観音像の石碑。
拝殿の軒下に大正6年に造られたと云う、木材で出来た尺玉の花火筒の大きい事。。。
そして本殿の立派さには又驚きました。。。
この本殿は明治17年杭の原の宮大工、斉藤常吉さんによって再建された流れ造りという立川流の建て方で。
彫刻がふんだんに彫られた立派なものです。
正面の梁の上(左端)には通玄仙人の瓢箪から駒(馬)が彫られていて。
願い事・・・意外な事が実現してしまうたとえであり、何か願い事のある人はお参りしてみるのもいいかもしれません。
彫刻は日光の眠り猫や礪波の欄間にも勝るとも劣らぬ、素晴らしさでした。
黒川から地蔵峠への旧飛騨街道では、苔に埋もれた石仏がありました。
皆さん手で苔を落とし、お顔や文字を探りながら・・・・、
側に江戸を思わせる建物が残っていて、当時の風情を想像しておりました。
馬も人も変わりなく生活した昔は、馬頭観音も人のお墓も隣り合ってお参りしています。
幼くして、親より早くに無くなった子供は・・・・
この世での孝行や善行を充分に積んでいない。。。
そんな子は三途の川を渡る事が出来ないそうで。。。
孝行の代わりに川原の石を積み上げます。 高く高く。。。高く積み上げた時、鬼が来て、その石を崩してしまいます。
仕方なく、又積むのです。。。
昔は祖母から良く聞かされた諺でした。。。
一つ積んでは、父の為、二つ積んでは母の為。。
そんなお話が印象に残りました。。。
快晴に・・福島の枝垂れ桜があちらこちらで花咲き始めました。。。
2008年02月06日
2008年01月03日
高山・古川へ・・・・
朝早くに電話が掛かり・・・・
一緒に高山へ行きませんか。。。。
杜子春も二つ返事で、出掛けることになりました。。。。
高山の町は特に上三ノ町は狭い道を行き来出来ない位の沢山の人手でした。
何軒かの酒蔵は真新しい杉玉に門松。
真新しく塗り替えられた白壁も目に付き、新年らしい活気がありました。。
午後からは古川へ移動し、こちらはそれに引き換え、人手もまばらで、雪の街中をゆっくりと歩き、写真を撮り・・・・し
そして帰り道にはR41号から少し山へ入った温泉『遊湯館』(入浴料600円)に入ってきました。
ジェット噴射する湯では足裏や腰のマッサージ・・・・・そして露天風呂では降る小雪がのぼせそうになる頬の火照りを沈めてくれて丁度良い湯加減でした。
杜子春は生ビールを私はコーヒー牛乳で。。。。
お誘いいただいたSさんの運転でほかほかな体と心の大満足な一日でした。。。
2007年12月22日
木曽福島・上の段・・・・
今朝の気温マイナス4度、室内17度。
朝から、ミゾレに近い雪がゆっくり降っていますが、暖かい為か路上には積もりません。。。
先日木曽福島上の段の肥田亭でまちづくり(株)の総会と忘年会が開かれました。
六ブロック各担当の方よりの報告会の後、
忘年会になりました。
肥田亭が12月1日より、まちづくり株の直営店になり。
メニューも新しくなりました。
宴会では和・洋・タリア料理などと色んな料理が運ばれてきました。
ソフトクリームが滑らかで本当に美味しかった。。。300円だとか!
宴が盛り上がれば歌が出て、そして木曽踊りや甚句も飛び出し、又不思議な出会いもありました。。。
二次会にもちょこっと参加、松島亭の倉・・・・・一度入って見たかった。
飲み物はワインを横目に、車運転の為、紅茶で乾杯し・・・・。
マタマタ楽しい歓談に、帰りはほんと・・・・遅くなりました。。。
2007年12月21日
妻籠宿の保存の歩み・・・講演会
今朝8時には0度、室内15度。
昨日から降り続いた雪で今朝は真っ白でしたが、陽が上がると屋根上も畑や路上の雪も殆どが溶けました。
昨日は開田母子健康センターで、講演会が開催されました。
『妻籠宿保存の歩み』と題して妻籠を守る会の小林俊彦さん
日本風景街道推進協議会の会長さんでもあり、以前にもお聞きしていました、妻籠宿を今に至らせた苦労話や強い思いを。。。。
所用があり、少し遅れて傍聴させていただきましたが、。。。。
妻籠を思う木曽を思うと言うより愛する心がお話される姿勢からも伺えました。。。
内容の一部ですが、妻籠には年間100万人位の来客がありますが、多すぎる来客を喜んではいけない。。。
妻籠宿500mの間に1万5千人の人が来られた場合、人の波で観光どころか前にも進まない。。。
土産物屋は売れるものなら何でも売らんと必死な表情は目が札束になってしまっている。。。。
眼はせめて500円玉位が一番いい・・・・・・。
儲かった!!!!と思ったのは土産物屋で、お客はサンザンな目に合い二度と来たく無いと思うに違いない。。。。翌年は来客がガタッと落ちた。。。。
又妻籠から馬籠への中仙道を散策出来る様に通行出来るようにと整備を始めました。
石垣の崩れを積み直す時、気持ちはキチンと新品の様に整備したいだろうが、それでは、趣が無い。。。。少し崩れた感じが丁度良い。。。。
崩れを見せる為に裏にはコンクリートを流し、表に見える石を少し傾けるなり、ずらすなり、又鉄線で、ひっぱり傾いた石の傾斜を保たせたり・・・・と
それを作業する人が一発で感じ取れる人もいれば、いくら説明しても、何回話しても理解出来ない者も居るが、そんな感覚は生まれ持った物。。。
南木曽にも木曽桧の山があるが。。。。。
今桧の値段が下がっている状況。
徐伐し間伐材で出して、又々切り出して行くが、沢山切り出すから値が下がるのだ!!!。
『桧は一切切ってはならない!!!!!』と強い調子でおっしゃった。
市場に桧が無くなれば、自然と値は騰がる。。。。
そして20年前に柳又の板屋根の集落を見て、感動されたお話。。。
・・・・開田からお礼の挨拶・・・・・
開田には残すようなそんな古い物は今は何も無く。。。。。でも今回のお話を参考にして、これからの村つくりをして行きます。。。。と
2007年10月13日
木曽福島・関所まつり・・・
本日は木曽福島の町の案内人・・・・・、眠っていても案内の言葉が頭の中を駆け巡り、どれを先に話そうかと・・・・落ち着かない。。。。
早朝のバスで木曽福島へ出掛けました。9時開始ですが8時過ぎに到着。
福島の街の一角が通行止めになり歩行者天国となっていて、旧の中仙道上町付近には屋台の店がズラリ並び、開店準備の真っ最中でした・・・・・
やがて時代衣装に着替えた方達が観光客の注目を浴び・・・奴の姿や役人の格好、真っ赤な九の一忍者姿、そして町娘・・・・
宿の前に止まった大型観光バスからは大勢のお客様が散策の準備も整っています。
・・・案内するのはあの人達だろうか??・・と思いながら
何人かの方が、水場の小さな水車をジーと眺め、時折加速を付けて回ったり又止まったり、水量が足りないのか、送リ水の位置が少しずれているのか・・・・私も皆さんの話題に入って行きました。
そして、少し代官屋敷跡の話し等して。。。。
一寸気持ちもほぐれました。。。
出発時間がきました。
74人が三班に別れ、旗を持った添乗員さん他24人の方を案内する事になりました。
コチラに集まって下さい・・・・・・と駐車場端の壁際に寄ると、周り間近いにグルリとニコニコ顔で集まって下さいました。
余りの近さに・・『あ・の・うぅう、済みませんもう少しだけ離れて下さい。。。。』
何だか親しみ深い笑顔で少しだけ離れて下さり、顔を寄せながら、私の話しを聞いて下さいました。
「ようこそ木曽福島へおいで下さいました。。。。」
自己紹介と中山道のお話、そして山村代官屋敷や木曽義仲・・・大まかに時代と活躍人物の紹介、そして関所祭りの為、皆さんはぐれないように・・・・
横の方と顔を確認しながら、先ず代官屋敷の中をご案内しました。大手橋に中仙道、本陣の説明そして関所へ・・・・
群馬から見えた皆さんのお話も伺いながら、高瀬家では庭園横の縁台で10分程の休憩を取り、関所橋を渡って興禅寺へ、
宝仏殿ではお寺の方が館内の説明をして頂き、看雲亭はカメラを構えたり、借景も共にゆっくり楽しまれ・・・・・
『木曽がこんなにいい所だとは思わなかった。。。。』との事
もう少しお付き合い・・・中央橋の袂で宿を確認して頂き、上の段への道と出店や木曽路ギャラリーが目印になる事、あとの自由時間を楽しんでいただけます様に、皆さんとお別れしました。
和気藹々のいいお客様でした。 あぁぁっ・・・やっとスミマシタ!!!
その後、町娘(婆)姿に着付けしていただき、代官屋敷をKさんの案内を参考にしながら、皆様のご案内も時々させて頂きました。
お座敷では謡曲の演奏やお茶席も設けられ、沢山の皆さんが来館されました。
2007年10月12日
福島宿・歩いていると発見する物沢山あります。。。
快晴。
昨日の林大でのキノコ狩りは参加者40名程、
顔見知りの方は10名程で、林大の城山につづく急斜面の裏山を列になり道沿いには大したキノコも無く、余りの人数の多さに、ただただ、今日はトレッキングの練習・・・・の思いで、細い道を歩きました。
急斜面の一所にナラタケかが見え、健脚は採取に行かれました。
折り返し、下山。
余りの急斜面に登るのを断念された方もいました。
林大では数名の方達がきのこ汁の準備をして下さっていて、お昼は皆さんとお弁当を開きながら美味しいきのこ汁のお変わり迄しました。
私は木曽福島の町へとテクテク歩き、13日の観光ガイドの下調べに出掛けました。
普段車では見過ごしているこんな所に三角広場があり、椅子が置かれて、・
以前から気になっていた、趣のある蔵を眺めたり・・・・・。
黒川のダム湖に泳ぐ鴨の仕草やあくび???
そして興禅寺境内と義仲公の墓地。
そして代官屋敷へと歩いていると、道を探す観光客の方。。。。
声を掛けました。
京都から見えたご夫婦に覚えたての知識で観光案内させて頂、代官屋敷
へとご案内しました。
あずま家の皆さんやKさんが『さあさぁあ・・上がって・・・・・・』と
ちょっと
福島宿でも旧中仙道の中心本陣のあった所、信号の向こうに顔見知りのK薬局のおばあちゃん、
「ここはS2年の大火にも焼けなかったのですよね!!」とお話すると、
良かったら蔵の中を見て行って下さい・・・』と蔵の二階まで案内して下さいました。
江戸時代から薬屋さんをされておられ、店横大きな白壁があり、ここで、あの火が止まったのです。。。。と大火の様子を思い出されてかのように。
この蔵は何年頃のものでしょう?
しかとは判らないとのことですが、薬を入れる箱書きには文政4年とありました。
歴代使われたレジスターも・・・・・
お隣の和菓子屋さんは元禄一年創業です。。。。
こちらの黒むし羊羹があっさりしたいいお味なんです。
何だか江戸時代。。。。。
とても充実した一日でした。
帰りのバスの中では、一座席前に田中町長さんが乗って居られ、関所まつりの話から、お米作りの話へと・・・・・・・。
そして丁寧に挨拶されて、バスを降りられました。
2007年08月22日
なんか八沢は居空間・・・・・
気温24度、室内25度。
迷い込んだ小蜂がブ〜ンブ〜ンと出口を探して、羽音が嫌に大きく聞こえます。
集落の中もシーンと静まり返り、川音だけが、聞こえます。
赤トンボも飛び始めました。。。
昨日9時過ぎ。。。。柳又をバス停に向って急いでいると、上から、ご婦人が下りて来られ・・・・・。ひょっとして、あずき亭への来客では・・・・・。
「すみませんこれから木曽福島へ買い物に出掛けようと思って・・・・・」
『それなら、この車に乗っていって下さい!!!』
まさかお客様に・・・・・・。
でもご親切に何度もお誘い下さるので・・・・・・
乗せて戴く事になりました。。。
寄りたいとおっしゃるHIFアイスクリームは生憎の休業で・・・・・。
ついでに観光案内をさせて戴きました。
末川小屋敷に中村本家は今は当時の五分の一ほどの屋敷跡ですが、開田のお米作りに尽力され、130年かかって、村人を飢えから救おうとした方です。
開田小学校水車小屋付近の忘れな草。。。。
『こんな風景が残っていたんですね』
そしてMさんちのイングリッシュガーデン。。。。
進んで・・・・・・、未だ通られた事が無いとおっしゃる地蔵峠。。。
唐沢の滝ももう一度来たいです。
そして下って二本木の湯。。
『こんな所に温泉があるんですか?今度来て見ます。。』と・・・・
黒川ダム近くで下車し。。。。
とことこと歩いて、街中へ。。。
代官屋敷に立ち寄り、・・・・知り合いと歓談等もして。冷たいお茶もよばれ一息しました。
(木曽町住人は拝観は無料ですヨ)
まちづくりで勉強した、ガイド内容を反芻してみたり・・・・・
親水公園の足湯(湯は二本木温泉からの汲み湯)、の横の行人橋は江戸時代、中仙道福島宿から神の山と言われた木曽御岳への入り口の橋。
橋の親柱は、お山に登る時の金剛杖をかたどっている。
鉄のワッカは錫(スズ)杖の形。
橋の形は刀の鞘(サヤ)をかたどり、『さや橋』と呼ばれています。橋を渡ると御岳山の神域に入るのです。。。。
行人橋の上・下流は神域として明治の終わりまでは殺生禁止の場でもありました。
木曽川を見ると、一人の釣り人が傘を被りほんと・・絵になります。。。。
買い物も終え、帰りは八沢で友人と別れ、縁台でバスを待っていました。
お向かいの千本格子のいい位置に花一輪が挿してあり・・・・・。
お向かいの銀行への車の中から、男性がなにげに会釈をされ。。。。
そして、通り掛りに前かけ姿の初老の方の小さな会釈。。。。。
なんか八沢は、。。。。。居空間。。。。
2007年03月27日
木曽福島宿・福島関所
今朝の気温2度、室内12度。曇り
昨日は観光案内の勉強会。
まちづくり木曽福島(株)まちの案内人の会、ベテランのMさんが少しでも皆さんが案内人として早く一人前に活動出来ますように・・・と
講師をかって出て下さいました。
広小路プラザに集合した11名。
先ず役場前角間薬局の土蔵辺りが本陣跡、この前真っ直ぐ大手橋その先に見える代官屋敷、そして、八十二銀行の通り左が京・・・右が江戸方面です。
左真っ直ぐ先を見ると福島関所。
これが、江戸時代庶民がお侍や大名が通った中仙道です。
道を進み周りの山々と街道の様子を何度も何度も確かめながら、ここで、お客様に福島の街の様子を見て頂きそして感じて頂き、ながらと細かいご指導を受けました。
やがて上の段坂又の名をカモイ阪を登ると西門、塀の高さや釘一本使用せずに再現されたの等の苦労の痕。東門・江戸へと向かう坂が池井坂。
片側は切り立って見える山の間にも逃げ人を逃さぬ柵があり、この峰は3000m級の山へと続く絶対に逃げられぬ堅固な関所。
中仙道の道巾は以前は三間ありました。
現在関所下の道センターライン辺りまで。その前は木曽川へと落ちる道は江戸で非常事態の折にもこの関所で、必ず食い止める事が出来ました。
木曽の代官は山村家。一つの家で270年間守り通した事は大変珍しい事で、幕府からも一目置かれていた。
敷地跡が福島関所の場所です。今の建物は九戸のお関番所の役宅がならんでいた場所に建てられました。
昭和54年、国の史跡に指定された。
ここでは出女、入り鉄砲の取り締まりが厳しかった事。
前の歌碑には、アララギ派 太田水穂
”山蒼く
暮れて夜霧に 灯をともす
木曽福島は 谷底の町”
福島を谷底と詠ったこれは・・・・Mさんはこの詩は何処で詠まれたのかも、調べて居られ、関所の前木曽川対岸は代官屋敷があり、その未だ左上方、のあの家です。
以前は氷餅を作っておられたお宅・・・・
昔はあそこに一軒だけ町の監視をしていた所です。
案内して下さる人それぞれに、いろんなお話を伺う事が出来ました。
木曽福島宿・大通寺
関が原の合戦の後(1600年)、木曽代官の山村良勝により建立された、この鐘楼門は安永七年(1778年)9月に建てられた、町に現存する木造建築物としては最も古い物の一つ、寺内には武田信玄の三女真理姫様の供養塔があります。
そしてナマコ壁の土蔵が並ぶステキな石畳の細い道『寺門前小路』水場に出会う通りは中山道です。
此処からの眺めは江戸時代さながら、山となだらかな勾配と大火にも焼け残った、町並み・・・・・お昼も少し過ぎ、民家をイタリアンレストランに少し改造されたビストロ松島亭にて、昼食としました。
松島亭を出て、懐かしい赤い丸型ポストは福島町に5つ残してもらいました。一つづつには名前があり、これは、一般公募で決まった『せいめいさん』と名づけられました。
ゆっくりと散策しながらMさんの案内は引きも切らずに続きます。
上の段『巾の小路』は崖上の巾の狭い道その中でも石積の家は代官所勤務のお屋敷がありました。
『西の小路』から右へは『馬宿の小路』馬と人足が20人と二十頭、馬の手配をする場所があった所ですと・・・、
小路寄りの家は今は公民館になっていて、街灯にも木曽馬の絵柄がありました。
少し下がり『高札場』は今の三倍はあり、幕府からのおふれ等が達筆で書かれており、庶民は字が読めず、組頭等が日を決めて、読みあげ伝えたとの事でした。
道下には福寿草が咲き、紅梅白梅の香もして、上の段は日当たりの良い所。
中仙道の『横宿』、七笑酒造の前を通り、いわや旅館の前に出てきました。
ここから左は岩盤で道が無かったのです。
いわやさんの横の道から木曽川に出て左に曲がると7軒町そして行人橋に出ます。
今は足湯のある所との案内頂きました。
この岩盤の地が木曽川沿いの崖家造りその侭家も七軒なんですね。
いわや旅館を道は右に取り、元の場所へ、木曽福島役場(現支所)広小路プラザへと戻りました。
時間も三時半を過ぎていました。
長い時間思いのこもった、説明を頂きました。
大方の皆さんは木曽福島に生まれ育ち、それでも尚勉強されて居られ、私と言えば、最近とみに入り難い頭にそれでも少しはかじった自分の記憶に重ね乍、何とか覚えんと質問等して・・・・
あせっても仕方がない・・・・。
そんなに簡単に覚えられもしない・・・・。
又誰かさんと同じ道を辿りながら、そして少し案内もしながら少しづつ覚える事に致しましょう・・・・
誰かさ〜んご一緒しません?
2007年03月21日
木曽福島・ボッコ山の桜とカタクリの花
今朝の気温2度になったり3度になったり、室内14度。
太陽は見えません が薄曇りの隙間から陽が射しています。
昨日の御岳山は素晴らしかった、急ぐ車の中から真っ白に冠雪し、裾野が濃紺に聳え立つ御岳山を横目に福島へと急ぎました。
まちの案内人の定例会議は
先日来の視察旅行の感想を一人づつ発表しました。
他の関所や保存地区を視察して、感じる、木曽福島宿の真価を、又これからの取り組み等活発な発言がありました。
やはりマヤカシは絶対に駄目。何時かは飽きられる。とT先生のお言葉が締めとなりました。
次回は4月17日
その後思わぬ案内をしていただきました。
元ガイドさんであり、観光案内の超ベテランのMさんに
「以前から聞いていたカタクリの群生地の場所どの辺りです?」
「あのバイオリンの陳昌鉉さんと若き田中勝巳町長さんが一緒にバイトした、採石所や焼き肉を食べた思い出の場所・・・・」
『これから行きましょか!!!!カタクリの群生地や良い所へ・・・・』
5人乗り合い、昔の中仙道を事細かに案内して頂き、そして、あの鳥居は三岳道八久保峠からクリーンセンターへ抜けます。と王滝道への分岐点・・・そして細い道を下ると、
ボッコ山・・・・
昔神様が富士山と御岳山を比べると一寸低い御岳山・・・
神様はもっと高くしようと・・・御岳山に土を盛りました。
肩に担いだ土の荷をヒョイと御岳山に盛り上げて、セッセと運びました。
夢中での作業にやがて空が白け始め・・・・見られてはイケナイと最後の一ボッコを残して・・・・・お隠れになりました。
小さな小山が民家の真ん中にポコンと取り残されたのが、ボッコ山。。。
小さな山肌一面にカタクリの花が群生するそうです。
この道が舗装される前はこの道にも一面のカタクリの花でした。
ボッコ山をグルリと廻り、そこに素晴らしい桜は御室の枝垂れ桜。
木曽の原風景の表紙になっている、有名な桜の大木です。
又その辺りにも渓流の景勝地が、あり、向こう岸には、木曽義仲から16代目木曽○○公があの丹精な松の木の根元に葬られて居られる、
直ぐ近く本当は日義に戻りたかったのだが、ボッコ山の白鳥神社この地内に不浄な物を通す訳には行かない・・・・と止む無くあそこに葬られてとの事でした。
そして、あの道が中仙道・・・・
R19号で寸断されてしまったあの道を中仙道の続きは今は使用されなくなった旧の中央道・石づくりの素晴らしいトンネルをくぐると元橋に出ます・・・・・。
あの阪の上の夕日が又素晴らしい島崎藤村の小説の中、代官屋敷で叱れて帰り道にふと見えたあの夕日・・・・
そしてあれがのろし台・・・・
私も一言・・・開田の西野峠から幾つかの山々を経て木曽福島のあののろしに繋がって来たんですね・・・・・
素晴らしい観光案内でした。
わくわくしました、カタクリや桜の花は多分4月の半ば位に咲くそうです。
今度は皆でもう一度散策したい・・・・ですね。
マダマダあります木曽福島の素晴らしい処・・・・。
Mさんのお顔も眼もキラキラと輝いて見えました。
2007年03月12日
『信濃の国』を覚えたい!!
昨日の雪は殆ど解けましたが、今朝も又淡雪がはらはらと降っています。
4cm程積もりました。
マイナス7度??気持ちは春に向かっている所為なのか、あんまり寒くは感じない、7度!!ともう一度温度計を見直しました。
『昨日の雪は柳又では4・5cmでしたが、西野ではその3倍はあったよ!』
杜子春。
『除雪車が少ない雪を掻き集める様に、ナメル様に、綺麗に除雪していたよ
ほんとに今年は赤字だよなあ・・・。
作業要員の費用や、整備費用が出て来ないだろうに・・・。』
先日ご一緒しましたバスの中で、「『信濃の国』の詩を覚えたいのですが、歌詞を知りたい・・・・。」を覚えていて下さり・・・・。
Sさんが早速封書で送って下さいました。
歌詞の部分だけ切り取り、パソコンの前に貼って、歌っています。
一番は何とか、音痴ですが歌える様になりました。
2007年03月08日
伊勢神宮から二見夫婦岩・賓日館へ・・
二十年に一度の遷宮は平成25年に行われます。又木曽の桧が使われる事等皆さんと話ながら玉砂利を踏みしめお参りしました。
参道脇には以前の面影は赤福の本店のみ・・・・。
その周りに江戸末期から明治初期の風情をテーマに、伊勢路の代表的な建物を移築、再現した『おかげ横丁』の素適な町並み・・・・秋刀魚の一夜干し焼きやさざえ・牡蠣のいい香り・・・・、いろんなお店が並んでいます。
もめんやさんで本藍染めの布を何品か購入し、そして杜子春には焼酎を・・・あちらこちらの試食でお腹が一杯にならない様に・・・Sさんも今度は気を付けて・・・・・
『すし久』さんに集合。
川沿いの二階のお座敷は落ち着いた佇まいです。
お刺身や鰤・海老の焼き物・揚げ物・茶碗蒸し・等々・・そして伊勢名物てこね寿司・・・食べきれない位の夕食でした。
楽しい宴会の余興も飛び出し・・・・。
その後女性5人はタクシーに同乗して、温泉に出掛けました。
(入浴料金350円タオル・バスタオル・石鹸シャンプー付きで650円です)
海水が使われたいる湯は何時までもホカホカとして、ホテル迄5分程の帰り道は夕風に吹かれながら気持ちの好い散歩でした。
翌日5日は二見夫婦岩。
賓日館の見学。
明治天皇の母英照皇太后の宿泊に大正天皇や皇族各界要人の宿泊施設となっていましたが、明治22年に隣接する二見館の別館として使われていました。
この部屋は大阪での中学校時代の修学旅行に多分泊まった宿だと思われます。
全校生徒が3千人のマンモス校で一学年が約千人・・・・何台ものバスを連ねて、夫婦岩の前で撮った記念写真。
この大広間で、幼馴染のあの子と枕投げをした事等を思い返しました。
平成15年に二見町に寄贈され、丁度広間には沢山のお雛様が展示されていて、ご近所の方達が雛仕舞の手を止め丁寧に案内して下さいました
なばなの里・・七里の里へ・・
七里の渡し。
熱田の宮から桑名まで海路七里にあった事から七里の渡しと呼ばれています。今は昔の風情が感じられない位の改修工事が行われていて、手漕ぎ舟で、葦の生える川岸を想像していましたが、余りの立派さに江戸は遠くに在り・・・・の感でした
木曽を出て
視察はハードなスケジュールな割に、休憩や見学はゆったりと時間を執って下さり、本当に有意義に又とっても楽しい旅になりました。
高速道路走行途中にバスの運転手さんが急ブレーキをかけられたのは、丁度前を走る乗用車同士の事故があり、とっさの判断で対処されたおんたけ交通の運転士さん、そしてガイドさんにも感謝です。 木曽の良さも又再確認する旅でした。
2007年03月07日
関宿・伊勢市視察に行って来ました
木曽町景観形成まちづくり連絡協議会の視察研修に参加させて頂きました。
東海道五十三次は江戸から数えて47番目の宿場町、三重県亀山市にある関宿。
昭和59年国の重要伝統的建造物保存地区に指定され、東西追分の間、1.8km25haは町並み600軒の内古い町屋等200軒が保存されています。
最も古い建物は18世紀中頃のものから明治の建物まで、平入の二階建が一般的ですが、目を引くのは二階前面を土壁で覆った塗りこめの物、大名行列をそつと眺めた縦格子の虫蘢窓(むしこまど)。
馬つなぎの環金具・出格子に簡易出店にも使用されたばったり等、京都や奈良井宿等と同じに間口で税金が決められた時代のいろんな工夫が見られました。
ずらりと並んだ町屋や脇本陣・・・関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か・・・・等の小気味良い観光案内の説明をしていただきました。
立派な大屋根は少し丸みを帯びた起り屋根(むくりやね)間口五間に奥行きは十間の大きな宿屋。長い町並みは見切れない位でした。
途中には、薬剤を扱かわれて居られる家や叩きにフイゴを備えた鍛冶屋さん等興味深い家もありましたが、ここは町並み保存が主で、観光地では無いですとの説明に収入には繋がらない保存の大変さを語って居られました。
2007年02月24日
2007年02月23日
新居関への視察研修
今朝の気温マイナス2度、室内10度。
朝から小雨が降っています。
昨日は『まちづくり木曽福島』から東海道新居関へ視察研修会に参加してきました。
朝は5時半に起床、6時32分発のバスがなかなか来ず、6分程遅れて柳又から乗り込みました。途中中沢からAさんも合流、木曽福島上町で下車。。。。
マイクロバスにはもう皆さん全員集合(20名)。7時15分集合が29分着でお待たせしてしまいました。
R19号は快調に進み、恵那インターから東名高速道路を経て一路浜松新居町へ、窓ガラスが社内の熱気で曇り、トイレ休憩を交えながら、外の景色も余り見えないまま、11時前に到着。
浜松に入ると、遠くに近くに梅の花や菜の花畑、椿の花々が春を感じます。
先ず新居の関所を見学する事に、4大関所の一つで新居町とは姉妹都市になっているようで、新居町長さんのお出迎えとご挨拶の中には福島の田中町長との交流のお話等もありました。
会長の中島さんのご案内で関所の内外を詳しく案内戴き、この地は富士山の噴火や津波等により、奈良時代からの関所の場所は三回も移動し、これより1km先にありましたとの事、地形図が時代と共に大きく移り変わっている事が判りました。
この移動の際には近くの寺院もその隣接通りに移動した等、多くの寺院も案内していただきました。
この建物は小松楼・・・はおちや屋さん。昔の遊郭の様子をお聞きしたり、館内には古いお雛様や手造りのお人形がズラリ、二階へ上がったこの場所で踊りの稽古をしたので、これが踊り場の謂れです。
眼一杯の視察でした。
地元の小学校PTA会長さんはお土産シラス屋・うなぎ屋さん等の格安のお店を紹介戴き、帰路にと着きました。
自宅へは予定をオーバーの10頃になりました。
2006年09月29日
木曽福島観光ガイド・付き添い
やがて大型バスで、お客様は三越日本橋本店の顧客35名様。案内人はベテランの川村さん、私達4人も皆さんの後に付き、お世話しながらの勉強会です。
木曽義仲のお墓、福島関所・高瀬家資料館・ここでは、昭和2年5月12日の木曽福島大火の様子の写真が展示されて、四角い囲みが高瀬家、町の殆どが消失した事が判ります。
ゆっくりの行程に七笑酒造や、高札場の見学は飛ばし、山村代官屋敷の見学へ、皆さん喉が渇き、もう眠くなってきた・・・の声も聞かれる、高齢のご婦人方もいらっしゃり、代官屋敷のお休み所で、御茶にお漬物、黒糖羊羹にほっとされて、おみやげは、そば饅頭や自家製漬物が飛ぶように売れ・・・・。『こんな事は年に一回、あるか無しか・・・・』と嬉しい悲鳴でした。お店の方達とも皆でバスをお見送り・・・・。我々は上の段の松島亭で早めのお昼にして、交流を深めました。ガイドの川村さんも実は5・6年前にIターンの方、観光ガイドさんは地元の方よりも信州に憧れて来た方の方が多い事に驚きです。木曽義仲のお墓の近く実の成る木の名前?良く調べて居られた、Aさんモクゲンジ・センダンバのボダイジュです。数珠にする木で、朝鮮からの物、お寺には良く植えられています。と教えて頂き、先日大木正夫先生にお聞きしていたこと、後で思い出しました。
2006年09月22日
木曽学講座『島崎藤村と木曽福島』
20日は『木曽学講座』があり、バスに乗り、木曽福島会館に出掛けました。今回は島崎藤村と言うことで、参加は女性の方がゾクゾクと、机が足りなく参加人数は35人程の内男性は5・6人でした。
木曽福島公民館長の井口利夫氏・・明治5年2月17日島崎藤村の誕生から、生涯を小説『家』の主人公・登場人物等に照らし合わせながら、姉の嫁ぎ先高瀬家でS31年の夏を過した事・・・時々いいお声で歌も披露され、藤村に対する深い想いがジンジン伝わり、1時間半ではとても伝わり切れない、あっという間のご講義でした。
どこかでお見かけしたと思ったら、将来構想策定委員の折にご一緒して、いいご意見を出して居られ久々の再開にお礼を云い。
講義が終わり、喉も渇き、近くのギャラリー横の『喜しろう』さんで御茶と濃厚抹茶味プリンやキンツバを頂きました。
大きな荷物を持った赤ん坊抱いたお客さん黒川から来られた方、お宅にも白壁の蔵があるんだけれど、家の半分はリホームして新しくなり、蔵には一度も入った事が無い・・・・。私はその蔵の方に興味がありました。
主人(杜子春)が家具を作る話から、着物を大事に保管する箪笥が欲しい・・・。とのお話、お若いのに着物を大事にしたい思い。。。保管するだけに、箪笥を作るのも勿体ないではなかと、骨董の箪笥を調達するのも方法ではないですか!!!等と全然商売にならない話ばかりしている自分でした。
2006年09月13日
『ローマの休日』のモデルになったタウンゼント大佐
木曽町の観光ガイドの勉強に出掛けて来ました。
案内して下さったのは・【まちつくり木曽福島案内人の会】会長の川村弘士さん
本町広小路プラザ前に集合した皆さん8名、先ずは山村代官屋敷、山村氏は木曽氏の旧臣、関が原の戦いでの功労により、木曽代官と福島関所の関守を兼ねた、今残る山村代官屋敷は私邸のほんの一部で、隣の小学校や福島会館一帯が屋敷跡・・・家紋の(一)○に一文字の説明から・・・道は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生ずる。入り口付近の灯篭には茶道具の彫りがあり、茶道はもとより、俳諧、和歌や漢文学の黄金時代を築いた等、築山泉水式の端正な庭園、当時としては珍しい板ガラスの窓。往時の食事が再現され、鯛にイセエビ、海の幸山の幸の豪華さ・・・・・雛人形や貝合わせ・・・・入り口の茶店で御茶までご馳走になり、移動・・、
新しくなった行人橋を渡り、旧の中仙道を通り上の段から、高瀬家へ、福島関所へとグルリ二時間コースを案内して頂きました。歴史を聞いていると福島宿の歴史の大きさに圧倒されました。
山村氏が日銀の副総裁だったことにより、この山村代官屋敷が以前日本銀行の山の家『蘇山荘』とされて居た時、英国マーガレット王女との悲恋をうたわれたピータータウンゼント大佐(元英空軍大佐)が世界旅行の途中に1957年(昭和32年)日本に立ち寄られ、5代目宝井馬琴さんの案内で5月29日木曽福島の『蘇山荘』に泊まられました。(この写真は代官屋敷お隣が実家の元外務省で通訳をされて居られた堀部博子さんが写された物)翌30日に開田高原にも来られ、鯉のぼりを『あれは何?』と聞かれたり、忘れな草を見られて、故郷を懐かしがられた・・・との話でした。マーガレット王女とのこの悲恋物語りが、後に『ローマの休日』の原作との話もあります。
こんな素適な話も案内の中にいれて欲しい!と思いました

