お昼は。。。
長和町和田の『ふれあい食堂』で。。
お昼をいただきました。
そして。。
丸子町へ。。移動。。
木曽義仲が木曽を出て。。
戦勝祈願を行ったとされる、
岩山の一角。。
慈覚大師開基の古刹は。。
1200年前。。
岩中に見える観音様。。
宝蔵寺・岩谷堂観音へ。。
木曽義仲にまつわる。。
いろいろなお話を。。
伺いました。
後白河法皇の側近であり、
今で言う副総理の立場にある
、右大臣九条兼実の日記(玉葉)の中に書かれた、
木曽義仲の真の行動や、言動など。。。
。。
院の御所・焼き討ち事件の二日前
(寿永二年十一月十七日の日記。。
『義仲が国を危うくするという理由が無いにも拘わらず、
君(後白河法皇)には、
城を構え兵を集め、人々をおどろかされるのは、
まったく至悪の政治なり。これ小人の計り出ずるか。
果たして乱あり、王事の軽さ、
ぜひを論ずるに足らず、
悲しむべし。かなしむべし。。。
。。。。。。。。。。。
『 ひとえに義中に敵対されるのはみぐるしく、
これ王者の行いにあらず。。。。。。。。』
『およそ漢家(漢の王朝)本朝天下の
乱逆その数あるといえども、今度の如き乱は未だあらず。
義仲はこれ不徳の君を諫める天の使いなり』
などの文章を引用され。。。
熱く語られました。。
その後。。東御市海野。。
道中には。。
こんな大きな看板が。。ありました。
木曽義仲、挙兵の折。。
海野氏の強力な後押しで。。
父、源義賢の家来衆など。。が集結した。。
場所でもある。。
白鳥神社や海野宿の町並みを見学。。
遠い昔の。。
木曽義仲さんの。。
胸中いかばかりかを。。
感じる旅でした。
長和町和田の『ふれあい食堂』で。。
お昼をいただきました。
そして。。
丸子町へ。。移動。。
木曽義仲が木曽を出て。。
戦勝祈願を行ったとされる、
岩山の一角。。
慈覚大師開基の古刹は。。
1200年前。。
岩中に見える観音様。。
宝蔵寺・岩谷堂観音へ。。
木曽義仲にまつわる。。
いろいろなお話を。。
伺いました。
後白河法皇の側近であり、
今で言う副総理の立場にある
、右大臣九条兼実の日記(玉葉)の中に書かれた、
木曽義仲の真の行動や、言動など。。。
。。
院の御所・焼き討ち事件の二日前
(寿永二年十一月十七日の日記。。
『義仲が国を危うくするという理由が無いにも拘わらず、
君(後白河法皇)には、
城を構え兵を集め、人々をおどろかされるのは、
まったく至悪の政治なり。これ小人の計り出ずるか。
果たして乱あり、王事の軽さ、
ぜひを論ずるに足らず、
悲しむべし。かなしむべし。。。
。。。。。。。。。。。
『 ひとえに義中に敵対されるのはみぐるしく、
これ王者の行いにあらず。。。。。。。。』
『およそ漢家(漢の王朝)本朝天下の
乱逆その数あるといえども、今度の如き乱は未だあらず。
義仲はこれ不徳の君を諫める天の使いなり』
などの文章を引用され。。。
熱く語られました。。
その後。。東御市海野。。
道中には。。
こんな大きな看板が。。ありました。
木曽義仲、挙兵の折。。
海野氏の強力な後押しで。。
父、源義賢の家来衆など。。が集結した。。
場所でもある。。
白鳥神社や海野宿の町並みを見学。。
遠い昔の。。
木曽義仲さんの。。
胸中いかばかりかを。。
感じる旅でした。