043お昼は。。。
長和町和田の『ふれあい食堂』で。。
 お昼をいただきました。


そして。。
 丸子町へ。。移動。。

 047木曽義仲が木曽を出て。。

 戦勝祈願を行ったとされる、
岩山の一角。。
慈覚大師開基の古刹は。。
1200年前。。
 岩中に見える観音様。。
  宝蔵寺・岩谷堂観音へ。。
木曽義仲にまつわる。。
いろいろなお話を。。
伺いました。
045
後白河法皇の側近であり、
今で言う副総理の立場にある
、右大臣九条兼実の日記(玉葉)の中に書かれた、
木曽義仲の真の行動や、言動など。。。

。。
 院の御所・焼き討ち事件の二日前
(寿永二年十一月十七日の日記。。

『義仲が国を危うくするという理由が無いにも拘わらず、
君(後白河法皇)には、
城を構え兵を集め、人々をおどろかされるのは、
まったく至悪の政治なり。これ小人の計り出ずるか。
果たして乱あり、王事の軽さ、
ぜひを論ずるに足らず、
悲しむべし。かなしむべし。。。
。。。。。。。。。。。049
 『 ひとえに義中に敵対されるのはみぐるしく、
これ王者の行いにあらず。。。。。。。。』
  『およそ漢家(漢の王朝)本朝天下の
乱逆その数あるといえども、今度の如き乱は未だあらず。
義仲はこれ不徳の君を諫める天の使いなり』
 
 などの文章を引用され。。。
熱く語られました。。

 その後。。東御市海野。。
 道中には。。
こんな大きな看板が。。ありました。
055
木曽義仲、挙兵の折。。
 海野氏の強力な後押しで。。

 父、源義賢の家来衆など。。が集結した。。
  場所でもある。。

白鳥神社や海野宿の町並みを見学。。
  遠い昔の。。
木曽義仲さんの。。
 胸中いかばかりかを。。
056 感じる旅でした。