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 三年程前から、手編み物の教室も開いています。

 この間もベストの『製図作って・・・・。』と来られました。

 ゲージを取り、デザイン画を書き、寸法を測って、割り出します。
Kさんは昔からの方法での編み方で、前と後見頃・前立ては別に編む・・・・と云われるのですが、
 ぐるりと編む方が簡単です・・・・よ。

 前立て分を加えグルリと脇迄が大変時間が掛かりますが、脇まで来ると半分出来たも同然、後は早いです。

 一寸特殊な作り目ですが、仕上げもこの段階で済ませます。
脇近く迄編み進み、その間にボタン穴も等間隔に開けながら、一寸気持ちを集中させて、でも頭の運動には丁度良い、ボケ防止です。

 脇の手前でそでぐりの辺りの伏せ目減し目をします。そして後見頃を肩迄編み進みます。
 前見頃は衿下がり迄、その後肩巾の目数を決め、減らし目しながら、肩まで行けば、後ろ見頃と中表に合わせかぶせ接ぎします。

 両方出来たら、衿を編みます。
 ポケットを付けたり、細い糸の場合はポケット穴をぼたんの通り易い様に、整えたり、裏糸の始末をして、アイロン掛けです・・・・

 見頃を中表にして、濡れタオルを置き、熱いアイロンで素早く、形を整えます。
 そして、ボタン付けで完成です。

 編み物は正式には習った事はありません
    今の編み方は本を見たり自分で創作したりの我流です

 少しづつはポイントを例えば特殊な目の作り方は以前住んでいた隣人に教わりました。これはとても大切でした。。。。

 娘が幼稚園の頃、同級生のお母さんに何人かで、セーターの編み方を二・三回教わりました。
 後は洋服の時の採寸の仕方や袖のつけ方、身体のラインに沿った減らし目、増やし目等もどうすれば、綺麗な線が出るのかと試行錯誤しながら、工夫しています。
 そしてマダマダ進化して行きたいと思っています。
それでもかれこれ編み物を始めて26年程になりました。

 長くやっていたのは、和裁です。実質30年・通算35年程。
三年間の専門学校では、縫い方は浴衣から花嫁衣裳、袴まで、そして歴史やデザイン画、
 神戸から教えに来て下さるデザイン画の先生に
『熱心だから神戸迄、習いにおいで!!!』と云われました。
 今思うと習って於けば良かったのに・・・とも思いますが、

 当時の和裁の専門学校の月謝が5000円程と教材資料に2000円程通学定期と残りお小遣いとで一万円。
サラリーマンの月給が未だ2・3万位の頃。

 家では台所仕事をする・・・と言う条件で、全て家から出して貰っていた時です。
 材料は着物好きの母がセッセと提供してくれますし、自分の婚礼着物一式を縫いました。
 それでも足りない時は親戚の物を、又学校からはいくらでも仕立て物は提供されます。
 最初に学校から提供された浴衣の縫い賃が240〜270円でした。その内糸代が140円残りが利益・・・でも幾らか戴いた時は嬉しくて・・・友人と梅田の喫茶店で、パフェ等を食べに行きました。

 でも私がもっと興味があったのは、先生の助手で出掛ける、ファッションショウの着付けのお手伝いや、雑誌『きもの』等の撮影の為の着付け助手です。

 モデルさんも色んな方がいて、着物の着方のそして歩き方の素適な人、へァーは未だ珍しかった男性美容師(梅田駅近くの美容院)の先生があやつる柘植の櫛先、クルリとシックにまとめられる、魔法の様な手・・・

 私も先生の助手として、どうしたら、素早い着付けが出来るかと、足袋の履き口を返しておいたり、仮紐をどの位置におけばいいか・・等、楽しい工夫をしました。
 着付け時間は5分から10分で又舞台にも戻って行かれます。

 初等科・中等科・高等科・教生科へと、最初はほんのお稽古事の積りでしたが、中等科のI 先生になってからが面白くなり、思わぬ師範に迄進みました。

 最初100人位入学した人達も最後には私ともうお一人との2人だけ、本校の生徒さん達と卒業式・・・その時頂いた学院長賞の副賞のハサミやへら台は今も大切に使っています。
 その後、芦屋で和裁の教師を少しの間していました。
生徒さんは私と余り年の変わらない方達で、授業も工夫し又、色んな悩み事や結婚の相談等も受け楽しい日々でした。今も時たまお電話する事もあります。

それもこれも、もう40年も前の事です。
 覚えて居る内に書き留めて於かないとと思います。。

 でも本当は洋服のデザイナーになりたかったのですが。。。
洋裁学校にも通いました。でも父の言葉
   女は・・・嫁して・・・・にそれでもとは云えない時でした。時代でした。

 今編み物で好きなデザインを考案しています。。。
まさかこんな日が来るとは、あの20代の頃には想像もつかなかった事です。