834b43e7.JPG 福島関所から高瀬家の前を通り、左にJR中央西線、線路際の細道を進み、踏み切りを手前右に折れると智勝山・大通寺です。
 関が原の合戦の後(1600年)、木曽代官の山村良勝により建立された、この鐘楼門は安永七年(1778年)9月に建てられた、町に現存する木造建築物としては最も古い物の一つ、寺内には武田信玄の三女真理姫様の供養塔があります。

 そしてナマコ壁の土蔵が並ぶステキな石畳の細い道『寺門前小路』水場に出会う通りは中山道です。

 此処からの眺めは江戸時代さながら、山となだらかな勾配と大火にも焼け残った、町並み・・・・・お昼も少し過ぎ、民家をイタリアンレストランに少し改造されたビストロ松島亭にて、昼食としました。

 松島亭を出て、懐かしい赤い丸型ポストは福島町に5つ残してもらいました。一つづつには名前があり、これは、一般公募で決まった『せいめいさん』と名づけられました。
 ゆっくりと散策しながらMさんの案内は引きも切らずに続きます。
上の段『巾の小路』は崖上の巾の狭い道その中でも石積の家は代官所勤務のお屋敷がありました。
 『西の小路』から右へは『馬宿の小路』馬と人足が20人と二十頭、馬の手配をする場所があった所ですと・・・、
 小路寄りの家は今は公民館になっていて、街灯にも木曽馬の絵柄がありました。
 少し下がり『高札場』は今の三倍はあり、幕府からのおふれ等が達筆で書かれており、庶民は字が読めず、組頭等が日を決めて、読みあげ伝えたとの事でした。
 道下には福寿草が咲き、紅梅白梅の香もして、上の段は日当たりの良い所。
中仙道の『横宿』、七笑酒造の前を通り、いわや旅館の前に出てきました。
 ここから左は岩盤で道が無かったのです。
いわやさんの横の道から木曽川に出て左に曲がると7軒町そして行人橋に出ます。
 今は足湯のある所との案内頂きました。
 この岩盤の地が木曽川沿いの崖家造りその侭家も七軒なんですね。

 いわや旅館を道は右に取り、元の場所へ、木曽福島役場(現支所)広小路プラザへと戻りました。
時間も三時半を過ぎていました。
 長い時間思いのこもった、説明を頂きました。

 大方の皆さんは木曽福島に生まれ育ち、それでも尚勉強されて居られ、私と言えば、最近とみに入り難い頭にそれでも少しはかじった自分の記憶に重ね乍、何とか覚えんと質問等して・・・・

 あせっても仕方がない・・・・。
   そんなに簡単に覚えられもしない・・・・。

 又誰かさんと同じ道を辿りながら、そして少し案内もしながら少しづつ覚える事に致しましょう・・・・   
      誰かさ〜んご一緒しません?