2006年09月
やがて大型バスで、お客様は三越日本橋本店の顧客35名様。案内人はベテランの川村さん、私達4人も皆さんの後に付き、お世話しながらの勉強会です。
木曽義仲のお墓、福島関所・高瀬家資料館・ここでは、昭和2年5月12日の木曽福島大火の様子の写真が展示されて、四角い囲みが高瀬家、町の殆どが消失した事が判ります。
ゆっくりの行程に七笑酒造や、高札場の見学は飛ばし、山村代官屋敷の見学へ、皆さん喉が渇き、もう眠くなってきた・・・の声も聞かれる、高齢のご婦人方もいらっしゃり、代官屋敷のお休み所で、御茶にお漬物、黒糖羊羹にほっとされて、おみやげは、そば饅頭や自家製漬物が飛ぶように売れ・・・・。『こんな事は年に一回、あるか無しか・・・・』と嬉しい悲鳴でした。お店の方達とも皆でバスをお見送り・・・・。我々は上の段の松島亭で早めのお昼にして、交流を深めました。ガイドの川村さんも実は5・6年前にIターンの方、観光ガイドさんは地元の方よりも信州に憧れて来た方の方が多い事に驚きです。木曽義仲のお墓の近く実の成る木の名前?良く調べて居られた、Aさんモクゲンジ・センダンバのボダイジュです。数珠にする木で、朝鮮からの物、お寺には良く植えられています。と教えて頂き、先日大木正夫先生にお聞きしていたこと、後で思い出しました。
気温昼前18度、室内18度。昨日のお客様から、ハーブの苗などを沢山頂きました。玄関ではオーデコロンミントのいい香りがします、九輪草の苗もお預かりしました、欲しかった方・・・取りに来て下さいね。
いつも前掛けを注文して下さる、近くのNさん通勤用のお弁当を入れるバックが欲しい・・・・。とご注文。私の紬の着物地残布でランダムにダーツを入れ、裏には羽織裏の綺麗な黄色の布を使いました。車の鍵を失くした話等聞いていたので、キーケースは皮紐とタイ産のトンボ玉を止め具にして、皮のショルダーベルトを付けました。見た目より、体に添って持ちやすい・・です・
日義のKさん『私も作って・・』と黒地に江戸小紋の一越縮緬、多分大正時代位の品これは保健休養地の夏祭りの骨董市で購入の品です。解いて水洗いし、裏は鹿の子絞りの羽織の布(母の羽織)を合わせました。ポケットを巾着型にして、携帯ケースも添えました。
先日東京からのお客様。幼児の紺色のベスト、白い編み込みのセーラー衿の模様が気に入って下さり、購入したいとの事。でもこれは3歳の方用に作ったもの一目ゴム編みで伸びはしますが・・・『着てみます。これ戴きます・・・』と短くておへそが出ますが・・・・。とお母様も『今こんな短いのが流行っているんですよ』紺と紫の落ち着いた色のべレー帽を被って居られ、ご自分の作品で、帽子のデザイナーをなさっている方でした。
東京で、素適な帽子とあのベスト姿で、闊歩される姿を想像して、なんだか嬉しくなってきます。
開田は余りに豊富過ぎて、もっと活用すれば、食用にお菓子になるものが一杯あります。開田の人は土筆も殆ど食べません。他に美味しい山菜が沢山あるからだと思いますが・・・・
今年の春、別荘のYさんがスカンポ(スイバ)新芽が出始め位のを、摘んで欲しいと云われ、近所のS小母さんに頼んで、一緒にとってもらい和歌山の方へ加工の為に送付されました。
『これが佃煮だよ!』と頂きました、それはズイキの感触で歯ざわりお味も抜群でした。開田には、山程あります。放置すると大木になる。あんな美味しいおかずになるんです。少し手を加えると宝の山がゴロゴロしています。
9月30日は『日義道の駅』にて観光案内の為臨時休業させていただきます。
又10月1日は『開田高原そばまつり』です。午前中は又大好きな『たこ焼き』焼きに行きますので、『あずき亭』は午後から営業させていただきます。
宜しくお願い致します。
20日は『木曽学講座』があり、バスに乗り、木曽福島会館に出掛けました。今回は島崎藤村と言うことで、参加は女性の方がゾクゾクと、机が足りなく参加人数は35人程の内男性は5・6人でした。
木曽福島公民館長の井口利夫氏・・明治5年2月17日島崎藤村の誕生から、生涯を小説『家』の主人公・登場人物等に照らし合わせながら、姉の嫁ぎ先高瀬家でS31年の夏を過した事・・・時々いいお声で歌も披露され、藤村に対する深い想いがジンジン伝わり、1時間半ではとても伝わり切れない、あっという間のご講義でした。
どこかでお見かけしたと思ったら、将来構想策定委員の折にご一緒して、いいご意見を出して居られ久々の再開にお礼を云い。
講義が終わり、喉も渇き、近くのギャラリー横の『喜しろう』さんで御茶と濃厚抹茶味プリンやキンツバを頂きました。
大きな荷物を持った赤ん坊抱いたお客さん黒川から来られた方、お宅にも白壁の蔵があるんだけれど、家の半分はリホームして新しくなり、蔵には一度も入った事が無い・・・・。私はその蔵の方に興味がありました。
主人(杜子春)が家具を作る話から、着物を大事に保管する箪笥が欲しい・・・。とのお話、お若いのに着物を大事にしたい思い。。。保管するだけに、箪笥を作るのも勿体ないではなかと、骨董の箪笥を調達するのも方法ではないですか!!!等と全然商売にならない話ばかりしている自分でした。
お昼の気温16度、室内22度。
開田高原へ引越したのが、平成2年、その前奈良の室生で、『ログハウスこっとん』という名で、ペンションをやっていました。その時一年に6・7回も宿泊に来て下さったのが、Kさんです。『開田で別荘地を探してくれない!!』と云う事で、その後、ログハウスを建てられました。・・・・開田に来られた時は、毎朝ジョギング姿を見かけます。
『天婦羅揚げるから来ない・・・』と夕方杜子春と御呼ばれに出掛けました。三岳に別荘お持ちのGさんが板前さん、目の前で揚げたての天婦羅は、まるで料亭の味でした。粉にビールを混ぜるのが、コツ・・・。勿体ない・・・と杜子春。ソースもこだわりで、ある料理屋さんに7年通って、秘伝のソースを分けてもらい、やっぱり美味しい・・・。食後可愛い○○ちゃんとトランプ遊び、最初は七並べ、の後、杜子春の発案で、昔スキーに仲間と来た夜よくやったゲーム『デンガデンガデン・・・。』早く上がった人に従い、総人数に一本足りない爪楊枝を取り合い、爪楊枝をインゲン豆に替えて、『ドン・・・』の掛け声を聞くと勢い良く取り合うので、インゲンも揉みにもまれて皺々になり・・・楽しくて、楽しくて、笑い転げ、その後カラオケ大会に・・飲むだけで無しに体も声も使いとっても健康的な夜でした。
今回三連休の為、何処のペンションも大忙しく・・・、お昼はお弁当を作って頂き、お弁当を開けてビックリ、豪華な事、お腹もペコペコに言葉も少なく食べきれない程大満足でした。
雨の中でもロープウエイに乗るお客様もチラホラと、高根ルビーの赤蕎麦や花園がとても綺麗でした。
次回20回の『忘れな草を守る会』は10月7日・・・ダッチオーブン料理を予定、大いに楽しみましょう・・・・次回のご参加お待ちしています。
今朝の気温12度、9時には14度、室内19度。昨夜も寒くてコタツ布団出そう?『未だいい!!』
昨日からの雨もやっと止みました。
昨日は雨の中、林業大学校の一年生の生徒さん達に混じりと草木染の公開講座に参加してきました参加者は20名程。林大の近くを散歩しながら大木正夫先生の植物の説明をお聞きし、殆どの植物は染色に使えますが・・・それでも、どんな色に染まるのか、キブシ・クサキ・クズ・やヌルデ等染料に使う植物を採取・・・既に、家から持参して下さった、カヤや、キハダ又クリ・玉葱を炊き出して染めて行きました。
クサキの青い実一昨年より冷凍保存されていたものを煮出すとブルーの綺麗な色に、少し黄ばんでいた、麻の夏ジャケットを染めました。見違えるような美しい空色になり、大満足。。。。
大木先生の講義では、皆萱の仲間ですが川近く水辺にはヨシが山に向かって次に荻(おぎ)・そして少し高くなり、ススキ・山に上るとカリヤス(草刈し易いから)・・・等の説明。
白川の合掌づくりの屋根は一番下に麻ガラ、次にヨシ、上にはススキで葺かれている等の興味深いお話がありました。
皆さんもティシャツや、ハンカチを思いの柄に色に染まり、わいわいとまるで学生時代に帰ったようにおしゃべりしながら・・・
キノコを持参して下さったきのこ採りの名人Iさん、お昼はお弁当を広げ、キノコ汁に又下づつみ・・・・。本当に楽しい一日でした。
10月4日(水)今年最後の講座はきのこ狩りです。
木曽町の観光ガイドの勉強に出掛けて来ました。
案内して下さったのは・【まちつくり木曽福島案内人の会】会長の川村弘士さん
本町広小路プラザ前に集合した皆さん8名、先ずは山村代官屋敷、山村氏は木曽氏の旧臣、関が原の戦いでの功労により、木曽代官と福島関所の関守を兼ねた、今残る山村代官屋敷は私邸のほんの一部で、隣の小学校や福島会館一帯が屋敷跡・・・家紋の(一)○に一文字の説明から・・・道は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生ずる。入り口付近の灯篭には茶道具の彫りがあり、茶道はもとより、俳諧、和歌や漢文学の黄金時代を築いた等、築山泉水式の端正な庭園、当時としては珍しい板ガラスの窓。往時の食事が再現され、鯛にイセエビ、海の幸山の幸の豪華さ・・・・・雛人形や貝合わせ・・・・入り口の茶店で御茶までご馳走になり、移動・・、
新しくなった行人橋を渡り、旧の中仙道を通り上の段から、高瀬家へ、福島関所へとグルリ二時間コースを案内して頂きました。歴史を聞いていると福島宿の歴史の大きさに圧倒されました。
山村氏が日銀の副総裁だったことにより、この山村代官屋敷が以前日本銀行の山の家『蘇山荘』とされて居た時、英国マーガレット王女との悲恋をうたわれたピータータウンゼント大佐(元英空軍大佐)が世界旅行の途中に1957年(昭和32年)日本に立ち寄られ、5代目宝井馬琴さんの案内で5月29日木曽福島の『蘇山荘』に泊まられました。(この写真は代官屋敷お隣が実家の元外務省で通訳をされて居られた堀部博子さんが写された物)翌30日に開田高原にも来られ、鯉のぼりを『あれは何?』と聞かれたり、忘れな草を見られて、故郷を懐かしがられた・・・との話でした。マーガレット王女とのこの悲恋物語りが、後に『ローマの休日』の原作との話もあります。
こんな素適な話も案内の中にいれて欲しい!と思いました
この間お向かいUさんちの息子さん達が、植木の手入れをされました。刈り込みは大きな電動鋸で、又もう一人の息子さんが桜の木に登って枝払いをされ、お爺さんは溝近くの雑草を綺麗に掃除されました。
冬になると木陰になり、前の道路がカチンカチンに凍り、又雪が解けにくかったのも、この作業のお陰で、快適な冬の生活送れます。
作業の後・・・・山女を串刺しにして、二匹『上松で釣って来たんだけど、食べる・・・・』と息子さん(杜子春と同じ年)が持って来て下さり・・・・・ありがとう。。。。後で、『大婆ちゃん(仲良しだった92歳で亡くなられた)の仏壇にお花供えて・・』とマツムシソウの花籠持って伺い・・・ニコニコの笑顔でした。