2005年12月
『寒くないよ!』慣れた性か、着替えもパンツ一枚になって・・・主人。
台所ではキュウリが凍り次の日にはヌルヌルと使い物にならない、冷蔵庫の中では卵も凍って割れているし。例年かぼちゃやサツマイモも年末迄に痛んでしまう・・・。栗キントン作るまで・・今年はなんとかしなければ、高いキュウリも・・・。新聞紙二重に包み、その上からポリ袋に包んでみた。
過日主人の友人から『ほうば』の種、植えたいので探して欲しいとの依頼で、丁度別荘の方から頂き、開田のそばと一緒に送ったところ・・お返しにと、この時期に沢山の自家製野菜が届きました。凍らせないように・・・ありがとう。
夜中やっと完成しました。一月遅れの黒いセーター。黒い栗の形のボタンは『木の工房杜子春』が綺麗に仕上げてくれました。これから年賀状の宛名書きです。新年の到着が少し遅れるかも知れませんが、どうかお待ち下さい。
昨日のニュースで長野県の人口は219万6012人だとか、昨年より、1万7千人の減少だそうです。老人の割合が多いので、仕方の無い事かも知れませんが、ちなみに11月1日に誕生した木曽町の人口は1万4000人余りです。(木曽町位の人数が消えたことになります)
又木曽町の面積は約476平方キロと県内では最大だそうです。
元開田村の総面積・・149.54平方km
東西・・・・22km
南北・・・・9km
周囲・・・・59km
標高・・・・1108.33m(元役場)
東経・・・・137度36分
北緯・・・・35度56分
今朝の気温マイナス9度、室内10度。朝陽にキラキラと雪が光っています。これもダイヤモンドダストかなぁ・・。オナガや小鳥がチィチィと澄み切った声で飛び交います。
先日帰阪の際、駅前の杉本産婦人科は下の息子が生まれた所ですが、院内美術館になっているとの事、母の針治療の待ち時間に尋ねる事にしました。版画家・池田満寿夫さんの作品がずらり・・・。未だ無名の時代に生活の支えにもなられたとの事。丁度引退し来館されて居られた先生にもお逢いすることが出来ました。
作品収集の迷い・・
・池田満寿夫と棟方志功のどちらにするか?棟方志功は高価又偽者が多い
・収集作品は初期から亡くなる直前迄に250点中でも圧巻は2mを超える『宗達賛歌』「金・天の川」「銀・春の海」「地・」の大作。
・美術館を始めて丸三年。バブルの影響で各地の美術館にもかげりが、多くは相続対策として法人化する中・・・
色々と考えて、一番お金のかかる冷暖房の経費節約の為春秋の開館にしました。人件費は陶器の店(1Fに手作り陶器店うつわ)を無料提供し,案内のコストを浮かせました.そして出来上がって儲けを考えない事の運営の難しさを味わっています・・・・・との事
玉串川沿いに近鉄の社長さんが開発した住宅地は300坪位の家が並び、垣根がバラに覆われた館や何時もハープの音が窓から聞こえていたお宅等も代替わりの折にマンションになり、土地は分割され、喫茶店が出来、可愛い小物の店や、自宅を開放ハーブティ・素適な輸入小物のお店やサンマルクのレストランになりとだんだん様変わりしています。内はその片隅の小さな家ながらこの地も大好きです。玉串川沿いの桜並木は今も変わらず・・・春桜吹雪の中自転車で走る楽しみ何時か又味わいたいと思いました。
今朝の気温マイナス15度。室内いくらストーブ焚いても6度です。足先からジンジンと痛いほどに冷えています。が雪は止み朝陽はキラキラと雪面にまぶしい程です。
先日帰阪の折看病に明け暮れていましたが友人に誘われ、アゼクラへ映画『小百合』の衣装展示と久保田一竹さんの『辻が花』を見に行く事が出来ました。
19歳で友禅絵師として料亭で豪遊出来る才能収入があったものの、ある美術館でガラスケースの中、通りすがりにふと見つけた小切れに引かれ・・・辻が花の染色に没頭し生活は畳が擦り切れ、食べる物にも事欠く程に、戦争にも出かけ・・・60歳にしてようやく辻が花の一枚を完成させる。師と仰ぐ先生に風呂敷に包んだ作品を差し出すと、先生は作品を見るどころか後ろ向きの侭、『今まで多くの人が辻が花に挑戦したが成功した人はいない・・・悪い事は言わない諦めたほうがいい・・・』との言葉でした。(以前読んだ『久保田一竹辻が花』のうろ覚えの内容です)その作品がアメリカのマスメディアが取り上げて大盛況にやがて日本でも認められるようになりました。何度かの展示会に行かせていただき、久保田一竹さんにもお逢いする事ができました。が一昨年お亡くなりになったとの事。戦地で見た星空のきらめきが作品の中にエメラルド色に輝くのは、何時までも心に残ります。
今朝の気温マイナス6度。室内は12度。
昨夜帰って来ました。昼間はストーブ焚かない為、部屋は冷え切っています。
今朝はゆっくりと朝寝坊・・・・何だか久し振りに主人と雪掻きをしました。回覧板を届けに来て下さった伍人組長さん、雪の中を歩いて配るのは本当にご苦労様です。柳又集落を配り終えると、高宮商店からやまゆり荘への入り口池の越へも歩いて行くとの事、『雪掻きして車が出れるようになったら、乗っていって・・・』と二人で出掛けて行きました。
一週間居ないといろんな事があります、郵便の封筒やとカレンダーが幾つか又広辞苑位もある『広報かいだ復刻版』や今配ってくださった冊子『開田1889年〜2005年村の記憶』を開いてみると村の歴代村長・村議や開田村の起源と稗田の碑・又冊子をめくっていくと峠今昔・・・これは観光案内所に勤務の折に掲載した私の文章をそのまま載せて下さっていたのにはちょっと驚きました。等々又柳又の雪掻きは開田村閉村の際に退職された、同じ集落のSさんがやって下さっているとの事、集落の細い回遊道路は丁寧に除雪されていました。
今朝8時の気温マイナス8度室内は5度。昨日の予報では開田高原マイナス11度と言われてましたがパソコン変換の動きが悪い・・台所の瀬戸物が流し台にくっついて丸ァルイ氷になっていました。今朝が今年一番の冷え込みだと思います。回覧板持ってきてくれた一番下の五人組長Sさん『今日は一番の冷え込みだったね・・水道凍った・・・』との事。車運転出来ないので、上の集落へ主人出勤途中に回覧板を届ける事にしました。(柳又は集落12世帯ですが、6世帯を残して道上通称『原』といいますが、新しい立派な家を建てて引っ越されています。柳又野菜の無人市の近辺ですが柳又集落12軒は一緒に行動します)
今JAの集落組合長という役を頂き、JAからの注文書を柳又・旭ヶ丘・池の越の五人組長さんに配る役目です・・昨日その回覧を持って行くとSさんちの木曽馬が『ごくろうさん・・・』と挨拶してくれました。
昨日は木曽福島へ研修に出掛けました。木曽福島の街中はシャーベット状になった雪が3〜4cm位積もり、車もゆっくりの走行です。最近の木曽福島は衣料店が若者向きでは無いことを除き、スーパーの食品等も豊富になりました。街中も整備され、先日も上の段には夏にオープンした、100年以上の建物の雰囲気とても良い『ビストロ松島亭』に行きました。コース料理が1000円と1500円はサラダ・ピザ・生スパ・4種のデザートとコーヒーに満腹してきました。又その近く『肥田亭和庵』は和洋菓子の甘味処です。・・・帰途黒川辺りは道路の雪が消えているところもあり、後方車軽トラやスキー客はバンバン飛ばしてきます。そんな時は左に除け、ゆっくり走行・・・降り始めは何年経っても運転には緊張します。時々クリスマスのライトアップが気に掛かります。
8時頃ガッガァガァ・・と除雪車が入ってきました。『もう雪掻きしたよ・・。4cm位だったので上から道端に寄せて、下まで掻いちゃった・・・』『除雪車仕事無かったね・・』表へ出てみると、静かに去っていきました。こんな珍しい事すると雪が降るかも・・・
昨年迄は主人がマイアへ出勤の為、私は6時ごろから、道上から軽トラが出れる玄関先迄、せっせと雪掻きしたものです。昨日もアラジンストーブの芯を換えてくれました・・、倉庫の中にしまってあるもう使えない板屋根を作業場へ持って行き(薪にする為)等々・・私にとってはやっと穏やかな冬の開田生活になりそうです。
屋根をトタンに変えたからか、南側の雪が時折ドドドォオ・・・とスゴイ音で落ちてきます。煙突が詰まりストーブが燃えにくく朝から煙突掃除・・余りに詰まってしまい下から空が見えません。簡易竿竹では届かず、主人は釣竿を持ち出し、『折れるよ・・』『使わないからいいや・・・』なんという事、決局屋根に登り、上から煙突掃除・・ガラガラ カラカラと気持ち好いほどコークスの様な物が取れました。
昨日道路が凍結しているが箇所があり、ゆっくり走ると、道路の前を低く高く小さな小鳥が飛び交います。セキレイや黄セキレイが親鳥の後を追いながら羽ばたきの練習しているように見えます。
今朝の気温マイナス10度室内は13度。5日に降った20cm程の雪も半分は消えました。
12月4日犬山のイベント『おもしろそうだがや』・・・・
朝からのシトシト雨も昼過ぎには本降りの雨になりました。『あずき亭』の商品少しづつと『木の工房杜子春』徹夜で頑張った馬だかアヒルだか、本人はキリンの木馬は朝店先で塗装することになりました。前夜も大変お世話になったTさんは馬頭琴で日本の唱歌やスーホの白い馬を奏でて下さるし、そのお隣さん初めて出店されたFさんも馬頭琴の音色に商売そっちのけでうっとりです。雨の割にはお客様も大勢見え、昨年子供のベスト帽子を買って下さった方『今年もいいのあるかなあ・・・』(すみません今回は余り商品がありません)。お向かいの芋汁・カレー店のスタッフの方ブルーのリースが気に掛かって何度も足を運び閉店間際に『まけてぇ・・!』と買って下さいました。今年も楽しい『おもしろそうだがや』でした。